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多様性を認めるということは難しいこと、でも素晴らしいこと その1

2010年夏の総括、その3。
これが、私たちふたりにとっての、この夏最大の出来事と言っても過言ではない。

そのことをやる前、それをここに記すのは控えようと思っていた。
だが、それを経験した今、どうしてもあの感動をここに書き残しておきたい衝動に駆られている。
自分を偽らずにいられることが、あんなにも人を活き活きさせるのか!
恋人と同じ価値観を持つということが、こんなにも嬉しくて心強いことなのか!

散々迷った挙句、やはり書くことにした。



IMG_1405_convert_20101008095254.jpg



8月14日に行われた『東京プライドパレード』、恋人と私はボランティア・スタッフとして参加した。
ふたりとも、過去のプライドパレードは一度も見たことがない。
私に至っては、「ボランティア活動」そのものすら、長い人生において初めての経験だった。

言い出したのは恋人のほうだった、「公式HPでボランティアの募集してるんだけど、私、やってみようかと思うんだ」。
『東京プライドパレード』というものが過去に行われたことはなんとなく知っていたが、クローゼットの立場である私たちにはどちらかというと無縁のものと思っていたので、突然の恋人の意思表示に少々驚いた。

もともと若いころの恋人がボランティア活動にわりと積極的だった話は聞いていた。
そして、「そのころのことを思い出に終わらせるんじゃなくて、一人の社会人として、今自分にできることがあれば何かに参加してみたいと思ってる」ということも聞いていた。
そういう意識を持った恋人を私は尊敬していたし、立派だと思っていた、自分にはとても出来ないことだと思っていたから。
だから、「このボランティアをしてみようと思う」と聞いたとき、まあそう思う気持ちも分からなくはなかったのだが、「なんでまた急に?」「なんでまたこれ?」というのが正直な気持ちだった。

「もし興味があれば、一緒にやってみる?」
そうは言われたが、自分の世話でもヒーヒー精一杯の私なのに、ヒトサマのお手伝いなんて果たして出来るんだろうか?
まずは、その不安が先に立った。
ただ、そのころの私たちはやや(というか、かなり)気持ちの上ですれ違いが生じていて、その立て直しのためにこの先どうしていったらいいかを模索してる最中だった。
私は、これがその修復過程の中でひとつのきっかけにならないだろうか?なればいいな、そう思った。
ふたりで顔を向き合わせてるだけじゃなく、ふたりして同じものに目を向けて、一緒に何かを体験する。
今までしたことのない経験をすることで、そこに何か、そう、私たちをより強く結び付けてくれるものを発見できるんじゃないか…そんな漠然とした期待感を持ったのは事実だ。



だが、いちばん懸念したのは、我々が既婚者だということだ。
自分たちの匿名性を守れるのかということも確かに気にはなったけれど、それ以前に我々を受け入れてくれるのだろうかということのほうがずっとずっと気がかりだった。
これまで様々なL系サイトを見てきた中で、既婚者でありながら同性愛者を名乗ることが、必ずしも快く受け入れられることではないと肌で感じていたから。

「別に『当事者』じゃなきゃいけないとはどこにも書いてないんだよね。もし聞かれたら、『常々関心を持っていたから』ってことでいいんだし。エモが乗り気じゃなければ、ひとりで参加するからいいよ」

恋人は決して無理強いはしなかった。

******************************************************************

既婚でありながらの婚外恋愛は、相手が同性であろうと異性であろうとインモラルであることに変わりはないし、それを承知での行動なのだから、そこを批判される、あるいは嫌悪を露にされることについては甘受するしかない、それは覚悟している。
ただ、女性同士の場合(男性同士の場合がどうなのかは分からないので「同性同士」の表現は控えます)、殊更「既婚であること」にアレルギーを示されるのは、おそらく「同性愛者として生きる」ことのアイデンティティが見えないからなのではないかと思う。
勿論それがすべてとは思わないけれど、多分にそれが反映しているような気がする。



同性愛者であることをオープンにするかクローゼットのままでいるかはあくまで個人の判断だと思うけど、少なくとも今この国でそれを明らかにすることは、社会的・経済的なリスクあるいは不利益をある程度覚悟しなければならないのが事実だと思う。
オープンにしないまでも、自分のアイデンティティを保つために、ごく身近な例で喩えれば「独身を通す」ことが「親を安心させられない」だとか、パートナーと同棲するにしても「賃貸契約を結びにくい」だとか、様々な生活場面で「同性愛者」として生きることに不自由を感じている人々は大勢いる。

「既婚ビアンはそういう不自由とはまったく無関係に生きてるでしょう?どうせ他人事だと思っているでしょう?」

なんとなく、そう言われているように感じていた。
それでも自分が恋人との関係を止めようとしないことに、必死でイイワケを探し出そうとしていた。



私は既婚ビアンの代表でもなんでもないのだから、すべての既婚ビアンを代弁するつもりなんて毛頭ない。
けれど、私の場合に限って言えば…。

ン十年前の思春期のころ、今ほどゲイが社会的に認知されていなかった時代、女子校の同級生に抱いた恋心は、いわゆる大昔に「エス(sisterの略)」と呼ばれていた思春期特有の感情で、大人になれば消えるものと思っていた。
卒業後、そんな感情をいつまでも抱く自分が幼く思え、大人になったと証明するために異性と次々に付き合った。
そうしていても、ときに「魅力的だなあ」と感じる女性が現れることがあった。
ただ、思春期を過ぎても同性への恋愛感情を抱いてる自分に、「もしかして私は異常ではないのか?」という不安を感じ始めた。
何とかしてこの感情を否定しなければならない、そう思うようになった。
そして適齢期と呼ばれるころ、周りの人がフツーにするように、私もフツーに結婚した、結婚することで不安を解消しようとした。

結婚後も魅力的な女性に心惹かれることがあった、もちろんそんな思いはおくびにも出さないでいたけれど。
こんな感情はやっぱりおかしい、だって私の周りにはそんな人はいないもの。
レズビアンと呼ばれる人たちは、どこか特殊な世界に潜んで生きているのだ、そう思っていた。
今のようにネットの発達した時代とは違い、アンダーグラウンドな情報は、よっぽど何かの偶然か、人一倍の好奇心と行動力がなければなかなか手に入らない時代だった。
「やっぱり自分はおかしい」、そう言い聞かせるしかなかった。

ネットが普及しだして、更には海外ドラマの影響で、自分と同類と思える人たちが実はごく普通に、ごくごく身近に存在するのだということに気が付いた、目からウロコが落ちた。
やっと「自分はおかしくなんかない」と思えるときが来た。
だが、既に生きてきた時間よりも残された時間のほうが短いであろうところまで来てしまっている身としては、今から人生をリセットするには、それに費やすエネルギーを考えると、一歩踏み出す気力が足りない。
せめて、一からやり直さないまでも、現状のままで「私もそうですよ」と密かに手を上げるのが精一杯だった。



やっとの思いで発した声、挙げた手…それを、「アイデンティティが希薄だから」と無視されるのはとても哀しかった。

******************************************************************

「でもねえ、やっぱりそれって視野が狭いんだと思うのよ」

恋人の口からポツリポツリと漏れた動機を聞いて、これは私も是非やってみたい、やるべきだろうと思った。



きっかけはあるサイトに出会ったことだと恋人は言った。
そこで交流しているビアンの方たちは明るく賢くとてもチャーミングで、好感を持ってそこをときどき訪れるようになったのだという。
あるときそこで話題になった既婚ビアンに対する彼女たちの主張、「それ読んだら…なんだかショックでね」と恋人は言った。

そこには、私たちの知らない未婚ビアンの悲しみや苦しみが綴られていて、しかもそれらは決して感情的ではなく、既婚者の私から見ても理性的で公正に思えた。

「既婚ビアンにだってそれぞれ事情はあるでしょう。『私たちにも言い分はあるのよ』って言いたくもなるでしょう。でも、こんなにも苦しんだり悲しんだりしている人のことを知ってしまったら、私たちはもっと謙虚に敬意を払うべきなんじゃないかと思うんだ」

自分たちのイイワケを声高に主張するのを止めて、人の声に耳を傾け、その立場になってよくよくモノを考えてみると、そこには想像以上の苦心・苦悩・努力があるのだということが見えてきた。

「これを読んで私は、『なにか、ささやかであっても、できることをしよう』と思い始めたわけです…」と恋人は言った。
私もまったく同意した。



恋人がそんなことを思っていた矢先、偶然『東京プライドパレード』のボランティア募集の記事を目にしたのだという。
私たちは、さっき言ったような「既婚者でも受け入れてもらえるのだろうか?」という懸念のほかにもうひとつ、「これって単なる偽善、自己満足、贖罪意識にすぎないのではないか?」という疑問も抱えていた。

このことに限らず、ボランティアにはいつも「自己満足でしかない」という意見がつきまとうのは知っている。
確かにそうかもしれない。
された側にとっては、「高いところから見下して」と不愉快に思うこともあるかもしれない。
その点についても、私たちには若干の葛藤があった。

でも最後に恋人は、「現実に今『人手が足りなくて困っています。誰か助けてくれませんか?』と彼らは訴えてるワケでしょう?外野でそれは良いだの悪いだのと言って何もしないでいるよりも、まず手を動かす、足を動かす。そっちのほうがよっぽど大事だよ」と言った。
「これで決まったな」、と私は思った。



6月の終わり、恋人と私は、相変わらず愛情面での気持ちのすれ違いは抱えたままであったけれど、それでもこの活動への参加について合意できた実感から、これがもしかしたら打開策になってくれるのではないかという期待を抱いて、なんとなくギクシャクした不思議な雰囲気の中、ボランティア説明会に向かっていた。

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| ふたりのこと | 09:55 | comments:8 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

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| | 2010/10/10 17:57 | URI |

Re

>まず手を動かす、足を動かす。
その考え方好きです。
一歩進んでみないと分からないことってたくさんありますよね。
痛い目にあうかもしれないけど
その一歩が自分にとって大きなプラスになったり
さらには周りの人たちにとってのプラスになるかもしれない。
今までボランティアに参加するなんて考えたこともなかったけど
そういう場所で自分を表現する、成長させることもありかなぁなんて思いました。
お話の続き待ってます。

| JET | 2010/10/11 23:24 | URI |

10月10日 17:57 の鍵コメさま

共感してくれたこと、本当に、本当に嬉しいです。
このことを記事にするに当たっては、自分の中でも相当な葛藤がありました。
耳の痛いコメントをいただくことも覚悟していましたが、
鍵コメさまのように受け止めてくださる方がいらしたことが分かっただけでも、
書いた甲斐があったと思っています。
読んでくれてありがとう。

| エモ | 2010/10/12 19:21 | URI | ≫ EDIT

じぇっとん(でいい^^;?)

>まず手を動かす、足を動かす。
そうだね、やってる最中は無心だったような気がします。
正直言ってこの年齢にとっては肉体的にはハードで、あれこれ悩むヒマなんてなかったの(笑)。
> そういう場所で自分を表現する、成長させることもありかなぁ
うん、ありあり、大アリだと思うよ。
じぇっとんみたいな若い人たちが、もっと関心をもってくれればいいなあって思った。
参加しなくたっていい、関心を持って、考えて、答えを出す。
無関心でいることこそが、「敬意を払う」の対極ではないかと思うのです。

| エモ | 2010/10/12 19:35 | URI | ≫ EDIT

Re

ブログを始めた頃、既婚者だったこと、子持ちだという事もあり
偽物!FTMと叩かれた事もありましたが
今、思えば本物って何なんでしょうか?
基準があるんでしょうか(笑)
今年初めて会場に足を運びましたが
皆の一体感!輝かしい笑顔!
そんな差別なんてちっともあるようには思えませんでした。
自分達も先ずは、初めの一歩 踏み出していきたいです

| 虹 | 2010/10/13 23:34 | URI |

虹さん

虹さん&HIROさんのように、既に「家庭を築く」という大きな一歩を踏み出した方からそのように言っていただけて、ホントにありがたいと思います。
私には計り知れないほどの勇気とエネルギーを要する道程だったことでしょう。
「本物」や「基準」…難しい問題ですね。
線引きしたがるのは人の常なのかもしれませんが。
「区別」しても「差別」はしない、それが多様性を認めるということなのだと思います。
お互いの立場を理解するために、まずは関心を持つこと、私たちはこの夏そこから始めました。
これからもその意識は持ち続けたいと思っています。
虹さんにコメントいただけたことで、続きを書く後押しをしてもらったような気がします。
読んでくださって本当にありがとうございました。

| エモ | 2010/10/15 05:41 | URI | ≫ EDIT

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| | 2010/10/16 21:21 | URI |

10月16日 21:21 の鍵コメさま

何度も読んでくださったとのこと、ありがとうございます。
でも、だらだらと長いので読み疲れしませんでしたか(^^;)?
「愛した人が異性ではなかっただけ」
そのシンプルな共通項だけで連帯感を持てたらどんなに素敵でしょうね。
でも、そこに付随するさまざまな葛藤やしがらみ、苦悩といったもののほうが、
実際の生活においては大きな要素なのだと思います。
自分と違う立場のそれの理解、それへの敬意なくしては連帯感は生まれないでしょう。
「自分なりの一歩」を考えること、そこに気付いていただけて嬉しかったです。
それにさりげない催促もね(笑)。

| エモ | 2010/10/18 20:18 | URI | ≫ EDIT















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